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東京高等裁判所 昭和47年(う)1915号 判決 1973年11月20日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

<前略>各所論は要するに原判示第一記載の不動産はその所有名義人である被告人の妻小泉光子から林茂儀へ、林から金沢雄兎へと順次売却されたものであるが右売買契約はいずれも解除されているので右不動産の所有権は被告人の妻小泉光子に復帰していた。かりに右契約が解除されていなかつたとしても昭和四四年七月二〇日ころ右小泉光子は金沢から本件不動産を買い戻して所有権を取得したものである。かりに同人に所有権がなかつたとしても被告人は金沢から右不動産の売却あつせん方を依頼されており、その処分権があつた。したがつて、被告人が黄澄河に右不動産を売却しても同人が所有権移転登記を取得するについてなんら障害となるべき事情はなかつたのであり、被告人が黄に対し、前記売買の事実を告知すべき義務はなく、これを告知しなかつたことは同人を欺罔したことにはならない。また、被告人は黄に対し、中間金として四〇〇万円を受領すると同時に、同人のため右不動産につき、所有権移転請求権保全の仮登記を設定し、黄の支払うべき残代金の調達等についても努力していたのであるから、少なくとも被告人には詐欺の犯意はなかつたものである。以上いずれの点からしても、被告人の原判示第一の所為は無罪であるに拘らず、これを有罪とした原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認がある、というのである。

よつて検討してみるのに、原判決挙示の各対応証拠を綜合すると以下の事実が認められる。すなわち、被告人は昭和四四年四月一〇日、妻小泉光子所有名義の東京都世田谷区代沢三丁目一番五九号所在の宅地84.36坪および右宅地上の木造瓦葺平屋建居宅一棟28.75坪(その登記簿上の表示は同町二丁目一番地家屋番号二番―以下右土地建物を一括して本件不動産という―。)を、代金一、八〇〇万円、内金四〇〇万円については現金で支払い、残額一、四〇〇万円については本件不動産に設定されている債権者東京産業信用金庫の二、五〇〇万円を極度額とする根抵当権のうち、同金庫に対する当時の借越債務の残高一、四〇〇万円を林において免責的に債務を引き受けるという約定のもとに林茂儀に売り渡す旨の契約を締結し、林は同月一〇日契約と同時に二〇〇万円、同月二三日一〇〇万円、同年六月三日一〇〇万円、以上合計四〇〇万円を被告人に支払つた。ところが、被告人の右金庫に対する債務については、同金庫が林の債務引受を承諾せず、かえつて被告人に対し弁済期の到来した債務の弁済を求めたため、被告人と林は改めて話し合い、右契約の一部を変更することとし、同年六月一〇日、林においてさらに現金五〇〇万円を被告人に代り同金庫に弁済することにより同金庫の右抵当権の実行を免れる一方、右弁済と引き換えに被告人が右金庫に預けていた本件不動産の登記済権利証および小泉光子の印鑑証明書、白紙委任状など所有権移転登記に必要な書類を受け取つた。そして、その後の処理については、林において残額九〇〇万円を直ちに支払うことができないところから、本件不動産を他に転売して残代金を捻出することになり、同年七月一〇日、林は被告人の仲介により被告人の知人金沢雄兎に対し、本件不動産を代金一、九五〇万円、手付金一〇〇万円は契約と同時に支払い、内金九五〇万円は同年八月一五日限り支払うこと、残額九〇〇万円は同日限り被告人に代位して右金庫に対し支払うとの約定で売却する旨の契約を締結した。金沢は右契約と同時に被告人の出捐した一〇〇万円を手付金として林に支払つたのち、残代金の調達に奔走したが、期日までに残額一、八五〇万円の調達の見込がたたなかつたので、同年七月下旬ころ、被告人を通じて林に対し、残金の支払を同年九月一五日まで猶予してくれるよう申し入れ、その承諾を得た。ところが、被告人はこれとは別に同年七月二〇日ころ、たまたま自己の居住用の住宅を探していた協和信用組合の幹部職員である黄澄河を訪れ、林にも金沢にも無断で本件不動産の売却方を申し込み、同月三〇日ころ、黄との間で右不動産につき、代金二、一〇〇万円、うち手付金二〇〇万円は契約と同時に支払い、内金四〇〇万円は同年八月四日限り支払うこと、残額一、五〇〇万円は同年一〇月二七日までに被告人が前記東京産業信用金庫に対し負担する債務を黄において引き受けること、もしこれが不可能なときは黄が同金庫から同額を貸し付けを受けてこれにより代金を支払うことという約定で売買契約を締結し、黄は右約旨に従い、契約と同時に二〇〇万円、同年八月四日四〇〇万円を各支払い、右四〇〇万円の支払と引換に本件不動産につき所有権移転登記請求権保全の仮登記を取得(但し、同年八月二六日ころ、被告人の申入により任意に抹消)した。

被告人は黄との契約交渉の過程において本件不動産に関する前記の事情を全く知らせなかつたので、黄も本件不動産につき特段の紛争はなく、代金完済と同時に直ちに所有権移転登記を取得できるものと考えていた。ところが同年九月下旬ころに至り、黄は林茂儀から本件不動産は林自身がさきに買い受けた物件であることを知らされ、驚いて被告人にその真偽を確かめると共に被告人を叱責したところ、被告人は林に売つたのは税務対策のためであるとか、責任をもつて林との間を解決するなどと弁解したものの、黄としては林は自己の勤務先の取引先でもあることから、同人との紛争を避けるため、同年一〇月末ころ、自発的に前記売買契約を解除すると共に被告人に対し、すでに支払済の六〇〇万円の返還を求めるに至つた。

他方、被告人は林らとの間における本件不動産の売買の事実が黄の知るところとなつたことから、同年九月二二日ころに至り、林に対し前記売買契約を解除する旨の意思表示をなし、同月末ころには金沢から小泉光子が本件不動産を買い戻したこととして、右金沢との間で契約年月日を同年七月一五日に遡らせ、あたかも被告人が本件不動産を黄に売却する以前に右不動産を金沢から買い戻していたかの如く作為した契約書を作成した。

以上の事実によつて考察すると、被告人が黄との間で本件不動産に関する売買契約を結ぶ以前に、右不動産は被告人の妻から林へ、林からさらに金沢へと順次売却されており、しかも各売買契約はそれまでに所論のように解除されたことはなく有効に存続していたことはもちろん、小泉光子において買い戻したものでないことは明らかである。したがつて、たとえ所論のように、当時被告人が金沢から右不動産の売却あつせん方を依頼されていたとしても、本件において右不動産を金沢からではなく、小泉光子から黄へ売却する旨の契約をした以上、右はいわゆる不動産の二重売買にほかならない。ところで不動産の所有者が第一の買主との間に不動産の売買契約を締結し、権利証その他の登記申請に必要な書類を交付している場合において、右買主の登記未了を奇貨として、これを他に売却し、第二の買主に所有権移転登記を経由させたときは、対抗力の取得を目的とする不動産取引の通例にかんがみ、第一の売買を告知しなかつたことは第二の買主の買受行為との間に詐欺罪の予定する因果関係を欠くのを通常とするのであるが、本件のように第二の買主において売買代金を交付し、不動産につき所有権移転請求権保全の仮登記を取得したが、いまだ所有権移転の本登記を取得しないうちに売買契約を解除するに至つたときは、右売買の経緯に照らし、第一の売買の存在およびその内容等が第二の買主の所有権移転登記の取得を断念させるに足りるもので、第二の買主が、もし事前にその事実を知つたならば敢えて売買契約を結び、代金を交付することはなかつたであろうと認めうる特段の事情がある限り、売主が第一の売買の存在を告知しなかつたことは詐欺罪の内容たる欺罔行為として、第二の買主から交付させた代金につき詐欺罪の成立があるものと解するのが相当である。これを本件についてみるのに、前記認定によれば、被告人の妻と林、林と金沢の間における各売買契約はいずれも有効に存続しており、とくに林は不動産売買代金の半額にあたる九〇〇万円を被告人に支払い、所有権移転登記申請に必要な書類の交付を受け、右契約の履行による林ないし金沢への所有権移転登記を保全している状況にあつたのであるから、被告人がこれを他に転売し、林らの対抗力の取得に困難を生ずれば、被告人との間に紛争を生ずることは避け難く、したがつてこのような状況のもとでは被告人が黄に所有権移転登記を得させるにつき所論のようになんら障害がなかつたとはいえなかつたこと、他方黄としても、本件不動産の売買は単に利殖の目的に出たものではなく、もつぱら自己および家族の居住の目的に出たものであるから、一般的にいつて対象不動産をめぐる紛争の余地のある売買を嫌忌することは理由のないことではなく、とくに同人にとつて林はいわゆる華僑仲間であると共に、自己の勤務先の得意先の関係でもあり、もし自己において林にさきがけて本件不動産につき所有権移転登記を経由すれば、同人との間においても右不動産をめぐる紛争を生ずるる可能性もあり、ひいては黄の勤務先と林との営業上の信頼関係も損われる等黄の勤務先における地位にも影響しかねない事態も予想されたこと、黄が林ら右不動産の買主の存在を知ったのちにおいて、被告人に対しあくまで売買契約の履行を求めることはせず、自ら解除を申し出たのは前記林との関係等を考慮したことにほかならないこと等の事実が明らかであるから、本件における被告人と林との前記売買の内容および経緯は、黄が代金の一部を支払つたことにより所有権移転請求権保全の仮登記を取得した点においても、なお林らにさきがけて本件不動産の所有権移転登記を取得することを断念させるに足りるものであり、もし黄がこれら売買の経緯を事前に知つていればかかる不動産につき敢えて売買契約を結ぶことはなく、したがつて代金を交付することもなかつたであろうと認めるに足りる特段の事情があつたものというべきである。したがつて、被告人がこれら売買の経緯を黄に告知しなかつたことは、取引に関する重要事項につき同人を欺罔したものといわなければならない。そして、被告人は本件不動産に関する前記売買の経緯および黄と林との前記関係を知悉しながら本件不動産を高く売却するため黄に事情を秘匿して売却したものであるから、たとえ被告人において黄との売買契約を履行するため黄に金融機関から金融を得させようと努力していたとしても詐欺の犯意なしということはできない。

以上の次第で被告人が黄から不動産売買代金の内金として交付をうけた六〇〇万円につき被告人に詐欺罪の成立することは明らかであり、これと同旨に出た原判示第一事実にはなんら所論のような事実の誤認はない。論旨はいずれも理由がない。

弁護人西田健の控訴趣意一の(二)、および弁護人安岡清夫ほか一名の控訴趣意第一点の九、について。

各所論は要するに、原判示第二記載の権利証は、被告人が林茂儀に対し、たんに好意から交付したに過ぎないものであるうえ、林の債務不履行により本件不動産の売買契約は解除されていたのであるから、被告人は返還請求権に基き右権利証の返還を受けたものであり、その際、原判示のような虚構の事実を申し向けたことはないから詐欺罪にはあたらない。かりに被告人が原判示のような虚構の事実を申し向けたとしても、当時の情況からみて権利証の所有者としてその返還を受けるにつき他の行為を期待しえなかつたものであり、詐欺罪をもつて処罰すべきほどの可罰性はない。以上いずれの点からしても被告人は無罪であるに拘らずこれを有罪とした原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認がある、というのである。

よつて検討するのに、被告人が原判示権利証を林茂儀に交付した経緯は前認定のとおりであり、これを要するに林は、被告人が自己の債務の担保として東京産業信用金庫に供与していた本件不動産を買い受けたものの、被告人の右金庫に対する債務不履行のため、同金庫に右不動産を処分されそうになつたので、被告人と話し合い、当初め契約を変更してみずから五〇〇万円を出損して被告人の右金庫に対する債務の一部を代位弁済し、これと引き換えに本件権利証の交付を受けたものである。そうすると右権利証は、林の被告人に対する本件不動産の所有権移転登記請求権(これが林がのちに金沢に本件不動産を転売しても消滅しない)を確保するため、当事者間の契約により授受されたものにほかならないから、所論のように被告人において返還請求権があるということはできない。ところで、原判決挙示の対応証拠によると、被告人は、昭和四四年九月二〇日ころの夜、林に対し、金沢に対する所有権移転登記手続およびこれに伴う東京産業信用金庫の根抵当権抹消の手続に使用するものであるかのように装つて原判示のとおり申し向け、林をその旨信用させて権利証の交付を受けたこと、しかるに被告人は、その直後右権利証を利用して右金庫からあらたに融資を受け、同月二二日付をもつて、本件不動産につき、さきに昭和四三年七月一五日受付第二五二二一号により登記されていた債権者東京産業信用金庫に対する元本極度額一、〇〇〇万円の根抵当権の元本極度額を二、〇〇〇万円に変更する旨の登記を経由してしまい、金沢に対する所有権移転登記には使用しなかつたことが認められる。右によれば、被告人が真実の使用目的を秘し、原判示の如き虚構の事実を告げて林を欺罔し、権利証の交付を受けたことは明白であり、当時の情況に照らしても被告人に対し、他の適法な行為に出ることを期待しえないほどの特段の事情は認め難いから、被告人が詐欺罪の責任を免れることはできない。

なお、西田弁護人の所論のうち林の出損した金額をもつて本件権利証の詐欺の被額害と認定することは失当であるとする点は、原判決は本件詐欺の騙取額として所論の額を認定しているものではないから、所論は前提を欠き採用できない。以上の次第で原判示第二事実についてもなんら所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして主文のとおり判決する。

(田原義衛 吉沢潤三 小泉祐康)

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